「信濃大町・地域おこし協力隊」に入隊(?)して2日目の4月2日、早速、大町市内の見どころの一つを取材しました! 記念すべき第一号は、「信州松崎和紙」。JR大糸線信濃大町駅から南へ歩いて15分、大町警察署の近くにありました。
赤い屋根の一階建ての工房に入と、大釜に作業台や流し、古めかしい機械がズラリと並んでいました。奥の広い作業スペースにいらしたのは、取締役の腰原修一さん(52)。
働き盛りのタフな職人といった印象で、工場見学に来られた方々に説明することが多いのでしょう、テキパキと分かりやすく質問に答えてくださいました。
和紙の歴史は古く4~5世紀には大陸から伝わり(諸説あり)、本格的な紙の国産化が始まったのは奈良時代だといいます。
「信州松崎和紙」は長久3年(1042)に、仁科神明宮(大町市社・国宝)の祭のために製造したのが始まりとされています。平安の頃から地域の職人に受け継がれてきた姿を想像すると、見学するにも気持ちがぐっと入ります。
和紙は、ちり紙、巻物、屏風、照明、和傘など日々の生活に使われ、江戸期には全国で生産されるまでになりました。しかし明治に入り、洋紙に押され生産量は減少していきます。現在、出荷量は減少する一方で、10年前のおよそ半分!(経済産業省統計2012)
また職人の高齢化や後継者不足で、和紙作りにたずさわる人は50年前と比べると10分の1以下に……。
なかなか厳しい状況のようです。
県内にある工房は、飯山市の「内山和紙」、長和町の「立岩(たていわ)和紙」、南木曽町の「田立(ただち)和紙」など、数えるほどしかありません。
そのほとんどが農家との兼業で冬期限定の営業であったり、産業保護のための観光用展示施設であったりするといいます。そんな中、我らが「信州松崎和紙」は一年を通して専業で営業しているのです。
頼もしい限りですね。
和紙作りは、楮(こうぞ・山イチゴのような実がなる桑科の低木)を栽培し原材料を作ることから始まります。収穫後、蒸す、剥ぐ、煮る、漉く、圧搾、乾燥などの加工作業や、照明器具、コースターや便せんなど多種多様な製品化の作業があります。
分業化が進んでいる業界の中で「全ての工程を一貫して一つの工房で行っているのは、全国でも数少ないのでは」と腰原さんはいいます。生産、加工、流通・販売までを一元化したスタイル。これは今、地域経済活性のため注目されている“6次産業”そのものではないか! と、 興味のあった私はちょっと興奮してしまいました。
工房に来る購入者には特徴があるといいます。実は市民よりも、他県からはるばる買いに来る人が8割を超えるのだそうです。また都市部からの移住者が、自分の住む古民家で使いたいと購入していくこともあるんだとか。
ここは“知る人ぞ知る”店であり、反対に大町市の人には知られていないのが現状なのかも。「市内で和紙を作っていること自体、知らない人も多いんだよね」と少し寂しそうな腰原さん。
修学旅行で全国各地の中学生が、卒業証書を手作りしに来ることもある。でも「市内の子供たちは、あんまり来ないよね」。
実は「信州松崎和紙」と販売するのとは別に、大町産和紙は紙問屋を通して全国で売られているのです。それらは各地の観光地の軒先で土産物として並ぶ物もある、販売先の地名のラベルを付けられて!
京都、美濃、津和野など、その地元で作られていると思って買ったそれは、もしかしたら大町産の「信州松崎和紙」かも知れないのです。
不思議な話だけれど……。
最後に腰原さんと、手漉き和紙の技術が2014年にユネスコ無形文化遺産になった話をしました。「地域と住民と行政が一体となったところに、世界遺産は誕生しているようです」の言葉に、考えさせられました。
ここ大町から、いつか世界遺産が生まれる日が来るのかな……と、少し夢見てしまったのと同時に、もっと多く人に「信州松崎和紙」を知ってもらいたいと強く思う一日になりました。
<お世話になった取材先>
信州松崎和紙工業有限会社
http://www.shinshu-matsusakiwashi.com/
住所/長野県大町市社6561
電話/0261・22・0579
営業時間/8時~17時(不定休)
駐車場/10台
※工房見学(無料)随時受付。
紙すき体験、2時間1000円~(要予約)